明治時代に入り、近代西洋を模倣し、明治31年に民法が裁定され、それまで村落・家・個人などの取り決めに委ねられてきた結婚は、法制度の中に組み込まれることになりました。明治の民法は、一夫一婦制を採用し、身分制度を廃止しましたが、結婚した女性の権利が弱く、男女不平等なものでした。
明治になり、西欧から入ってきた文化の一つに「恋愛」があります。しかし、啓蒙家により、恋愛が宣伝されたものの、遊郭や妾が公然と認められていた時代にあっては、恋愛と結婚を結びつける意識は薄いものでした。そして、近代日本に台頭してきたのは、恋愛結婚ではなく、お見合い結婚だったのです。
「高砂業(たかさごぎょう)」と呼ばれる「仲人業」があらわれたのも、そのことを物語っています。1880年(明治13年)に山口吉兵衛が大阪で始めた「養子女婿嫁妻妾縁組中媒取扱所」がその元祖と言われ、1884年(明治17年)には、東京、日本場しに「渡辺結婚媒介所」が誕生しています。(『日本婚姻史』中山太郎著、『明治大正史・世相編』柳田邦男偏)
また、この頃から新聞が普及しはじめ、自分の略歴、相手の希望条件を新聞に掲載して、結婚相手を見つけようとする「結婚広告」も出現しました。
このような背景には、貨幣経済の導入による村落共同体の崩壊がありました。大都市へ人口が集中したことにより、地縁・血縁を頼りに結婚相手を探すことが、難しくなっていったのです。そして1933年(昭和8)には、東京市に公立の結婚相談所が設けられました。